今回は新海誠監督の初期作品である『秒速5センチメートル』についての記事を書かせていただきます。
今回これをお勧めしようと思ったのが、この映画の実写映画化になります。
松村北斗さん主演で製作される実写映画。さぁどうなることやら・・・。
この映画、3部作になっており「桜花抄」「コスモナウト」「秒速5センチメートル」となっています。いづれも一人の主人公を通して各年代でのお話になっています。

以前見た時「桜花抄」しか見ていなかったのでこれが『秒速5センチメートル』なんだと勘違いをしていました。
基本的にはネタバレのないように記事を書いていますが、最後の感想部分だけはネタバレになっているのであしからず。
あらすじ
桜花抄
東京の小学校に転校してきた遠野貴樹と、同じく転校してきた篠原明里は精神的に似通っておりお互いに惹かれていく。しかし、中学に上がる時に明里の父親の仕事の都合で東京から栃木へと転校することになってしまう。中学に入学後明里からの手紙が届き、それから文通を重ねる二人。そんな中、貴樹が中学一年の終わりに鹿児島に引っ越すことが決まってしまう。鹿児島に転校になる前に貴樹は明里に会いに行くことを決意する。そして・・・。
コスモナウト
中学2年の春に東京から鹿児島の種子島へ転校した貴樹。そのクラスメイトに澄田花苗がいた。花苗は転校してきた貴樹に淡い恋心を抱く。そして同じ高校に通うために猛勉強をし同じ高校に通うことはできたが、その思いは伝えられずにいた。できる精一杯の努力は帰りの時間を一緒にして帰ることくらい。そして・・・。
秒速5センチメートル
東京で社会人になった貴樹は高みを目指すためにひたすら仕事に追われる日々を過ごしていた。ある日3年間付き合っていた彼女から1通のメールを受け取る。そして・・・。
タイトルの意味
『秒速5センチメートル』はシリーズ3本目の作品のタイトルですが、1作目の「桜花抄」の冒頭でのセリフでもあります。
ちなみにこれは明里の発言で、秒速5センチメートルが指しているのは「桜の花びらの落ちていく速度」とのことです。
ちなみに『桜花抄』の「桜花」は「桜の花」の意味、「抄」は「長い文章の一部を書き出すこと」の意味になります。桜の花と言えば春。つまり「青春のうちのほんの一時の出来事」という意味合いでつけたのでしょうか。
『コスモナウト』はcosmonautという単語から来ており、ロシアの宇宙飛行士を指す言葉になります。作中では種子島の発射台に移送されるロケットもでてきますが、それだけでこのタイトルにはしないでしょう。作中では運んでいるシーンで「時速5㎞で運んでいる」という会話がされます。
・・・・ネタバレにもなってしまうので続きは感想のところで。
監督:新海誠
新海誠監督は1973年生まれ。
長野県南佐久郡小海町でお生まれになられたよう。
ゲーム会社に入社したのちにパソコンで本格的に絵を描くようになったのがきっかけで自主製作アニメーションを制作するようになったようです。
代表作としては『きみの名は』『天気の子』『すずめの戸締り』『言の葉の庭』などがあります。
個人的感想と見どころ
ここからは盛大にネタバレがあるので注意してください。
桜の花びらのおちる速度は秒速5㎝じゃないらしい
実は明里の冒頭での発言は事実ではないようです。
色々なサイトで実験がされているようですがおよそ1~1.2m/sとのこと。
大分違いますね。
ただ、なぜ事実とは異なるタイトルを監督はつけたのでしょうか。
続・タイトルの考察
「タイトルの意味」の続きですが、1作目の「桜花抄」が貴樹と明里との淡い恋心を描いた作品なのに対して、2作目の「コスモナウト」は貴樹に対する花苗の一方的な淡い恋心を描いた作品になっています。3作目の「秒速5センチメートル」は貴樹が明里のことを忘れられないでいるのに対して、明里は貴樹への思いにけりがつき新たな人と結ばれるというもの。
1作目と2作目を比べると貴樹のヒロインへの感情が全く別のモノという印象。物理的に遠くなってしまった貴樹と明里ですが、文通をとおしてお互いの距離が縮まり離れてはいるものの手を伸ばせば届きそうな印象。しかし、花苗と貴樹は物理的には近くても、花苗からすると近づきたくても近づけない相手となっています。それはコンビニを出た後の携帯をいじるシーンや5年間好きなのに告白もできていない状況から近づきたくても近づけない、一歩踏み込めないというのがうかがえます。そして、大学は東京へ行くという貴樹は花苗からすればさらに遠くに行ってしまう相手となります。自分を置いてはるか遠くへ。
そう考えると2作目の「コスモナウト」(宇宙飛行士)は種子島を飛び出して遠くへと行ってしまう貴樹にピッタリなタイトルなのかもしれません。
さて、『秒速5センチメートル』というタイトルですが、前述のように桜の花びらの速度はもっと早いとのことなのになぜこのタイトルなのか。
「どれほどの速さで生きれば、きみにまた会えるのか」という見出しがあります。
ここに何か関係があるのか・・・。間違った速度で動いていた貴樹が本当の速度で動いている明里との間に距離ができてしまったという比喩が・・・ないか。
携帯のない時代って大変
貴樹が明里のいる岩舟駅へ向かったのは1995年の出来事のようです。ちなみに着メロが世界で初めて出始めたのが1996年から。今の11桁になったのが1999年からのようです。
一応携帯電話はあったようですが、少なくとも中学生が持つようなものではなかったでしょう。
待ち合わせでどちらかが遅れても連絡のやりとりができないって大変を通り越して辛いという印象。明里もよく4時間以上駅で待っててあげたな。雪が降って遅れているから一縷の望みで待っていたのか。
自分が当事者なら・・・。貴樹の立場なら泣いちゃうし、明里の立場ならあきらめて帰っていただろうなぁ・・・。
純愛のなせるわざなのか。
でも、そのあと貴樹だけでなく明里も家帰ってないけど・・・平気かな?
好きだけど好きと言えない
2話の花苗は5年間も片思い。
近づこうとして貴樹のことを待ってみたり・・・。
なかなか言い出せない「好き」という気持ち。
しかも向こうは優しくしてくれるけど他に好きな人が良そうな雰囲気を感じ、自分を見ていないことをしる。なんて残酷なんでしょう。
最後の花苗のセリフの
「わたしのずっと向こう、もっとずっと向こうの何かを見ている。私が遠野君に臨むことはきっとかなわない。それでも、それでも私は遠野君のことをきっと明日も明後日もその先も、やっぱりどうしようもなく好きなんだと思う」
切なすぎる・・・。
貴樹のつらさ
好きな女の子が転校してしまうという悲しみ。そして次は自分がさらに遠くへいってしまうことに。
明里と離れてしまう時に勢いで喧嘩をしてしまう、それほど好きな相手。
中学生なのに、県を一つ越えての数時間の電車移動をしてでも会いたいという気持ち。
明里と待ち合わせをして雪に阻まれ焦る気持ち。もうむしろ「待っていてくれるな」と相手を思いやる姿。
そして、その後は連絡が途絶えたのか、出す当てもないメールをいつの間にかうつ癖がついてしまうほどに明里のことを考えてしまう。
青春のすべてを明里だけへの恋心で終わってしまうなんて・・・。
(まぁ、自分は恋愛とはかけ離れて男友達と遊びまくっていた日々でしたが)
そして、社会人になってもなお、彼女ができてもなお、明里への気持ちはきっと薄れていない状況。
数年間、手の届かない「何か」へ向かってひたすら前に進むために頑張ったが、心が辛くなっていき、会社もやめ・・・。
こんなにアンハッピーな主人公がいていいのかというぐらいに可哀そうに思えてきちゃいます。(同じ男だからそう思うのか)
唯一は最後に笑みで前を向いて歩きだしたところ。
踏切で出会った明里と思われる女性は実はおらず、過去の明里との決別としてのシーンということなのかな?
さいごに
今回は『秒速5センチメートル』を記事にしてみました。
過去に見たことある人も、是非この機会に見直してみてはいかがでしょうか?

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