今回は『いま、会いにゆきます』についてのおすすめの記事を書かせていただきます。
前回と同様に竹内結子さんが出演している今作。
同じ生き返り系(?)としておすすめをさせていただきます。
泣ける映画で1時間37分からの40秒が一番ぐっときます。(個人的には)
是非まだ見ていない人には見てもらいたい作品です!
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あらすじ
1年前に妻・澪に先立たれた巧は一人息子の佑司との二人暮らしであった。シングルファザーとして不器用ながら生活をしていたが、生前澪が残した「1年経ったら、雨の季節にまた戻ってくるから」という言葉がきになっていた。とある雨の日に廃工場に巧と佑司が訪れるとそこには澪が座り込んでいた。しかし、巧や佑司のことは覚えてはいなかった。記憶が無くなった澪との共同生活が始まり・・・。
タイトルの意味
タイトルの「いま、会いにゆきます」の意味ですが、誰が誰に会いに行くのかというところ。
お話の流れでは、1年前に亡くなってしまった母親の澪がいった「1年経ったら、雨の季節にまた戻ってくるから」という言葉から、澪が夫の巧と子供の佑司のもとに会いに行くという意味と考えていました。
しかし、実際に再会できた3人ですが、肝心の澪には記憶がありません。
これでは「いま、あいにゆく」というには辻褄が合いません。逆のパターンとも思いましたが、そもそも巧は信じていなかった。
しかし、終盤になりそれがどういった意味だったのかがわかるのですが、それはネタバラシになってしまうのでここでは控えさせていただきます。
キャスト
この映画では竹内結子と中村獅童が主演をしています。
竹内結子さんは令和2年に他界してしまいましたが、「黄泉がえり」や「僕と妻の1778の物語など数多くの映画や、「真田丸」など多くのドラマに出演されていました。
中村獅童さんは元歌舞伎役者の初代中村獅童の元に生まれました。生まれた時から父親は歌舞伎役者を廃業していましたが、親戚たちの舞台を見に行くことがきっかけで自らも舞台に出たいと6歳から日本舞踊と長唄を始めたようです。ドラマや映画では「新選組!」や「デスノート」などに出演されています。
そしてこの二人、2005年6月にご結婚され、同年11月に第一子が。本当に家族になってしまったのです。お名前はわかりませんが、もしかして佑司?そんなことはないか。しかし、2008年にお二人は協議離婚をし、親権は竹内さんに委ねられています。
個人的感想と見どころ
ここからは盛大にネタバレがあるためまだ見てない人は読まないでください。
シングルファザーの大変さ
妻を無くして1年なのに料理もあまりうまくなさそう、食後の後片付けをする時間もなく洗濯も部屋干しそのまま。
いきなりのシングルファザーで子供を育てるのも大変で、そもそもが不器用そうで。
それでも一生懸命子育てを頑張っている姿に共感を覚えます。
佑司くんがほんとにいい子
シングルファザーの巧を気遣うような言動がみられる佑司くんは本当にいい子。
雨の時期にはママが帰ってくるという言葉を信じて揺るがない姿も。
ママとの約束もお父さんとの約束もちゃんと守れる。
お父さんの病気をちゃんとは理解してはいなくても、人ごみに行けないと知っていてお祭りにもいきたいとは言わずに我慢ができる。
ちょっと途中でお色気シーンがありましたが・・・。
こんないい子なのに・・・。
最後はママのために四葉のクローバーを一生懸命に探し、やっと見つけれたのにもうママが消えてしまい時すでに遅し・・・こんなにいい子なのに・・泣けちゃう・・・。
佑司くんがかわいそうと思うのは、親戚の話から「自分のせいでママが死んじゃった」と思いこまされていたこと。事実だとしても子供の近くでそんなこというなよ!とおもっちゃいます。
佑司の担任のやさしさ
序盤でゆうじくんは学校のベランダにテルテル坊主を逆さに吊り下げるシーンがあります。教室内では終末のお祭りの話題で盛り上がっている中。
ゆうじくんが逆さテルテル坊主を作った理由としては、母親が雨の季節に戻ってくるという話を信じて降らせたかったというよりも、人ごみに行けない父親を想い本当は行きたい祭りを我慢している様子。(実際その後に行くことになって大喜びしているし。)なので雨を降らせたかったのかな。
それを見つけた先生は、他の生徒が騒ぐ中「かわいいじゃん」と笑顔で一言。
みんなが楽しみにしているお祭りなのに雨を降らせようなんて良くないと注意をしても普通なところを、ゆうじの事情を知ってなのか咎めることなく逆に褒めるような言葉を使っています。
何でもかんでも怒るのではない、こういう先生が世の中たくさん増えてくれればなぁ。
ただ、最後は事情くらい聴いてから返してあげてもいいのではと思ったけど(笑)
記憶を無くして現れた理由は?
最後に明かされる設定。
過去の、20歳の時の事故で9年後の雨の季節にタイムスリップしたという設定。
つまり、記憶をなくしたのではなく、まだ出会っていなかったから佑司のことはわからなかった、巧と結婚しているというのを知らなかったということ。
正直その設定は・・・。と思いましたが、逆にそれでも、自分が28歳で死ぬとわかっていても他の人生を選ばずに「佑司をこの世界に向かい入れてあげたい」という気持ちがまた感動します。
だから、自分の体を顧みずの難産でも頑張って産んだんだな。
そして、タイトル回収の「いま、会いにゆきます」。
「たとえ短くても、愛するあなたたちと一緒にいる未来を選びたい」。なかなかにぐっとくるフレーズ。
消える前に
澪は過去(未来?)の自分が書いたダイアリーと絵本を読んでしまいます。
そこで自分がもうじき二人の前から消えてしまう運命にあることを悟ります。
そして、佑司に家事を教えます。それは巧が家事ができないから佑司に頑張ってもらいたいからでしょう。
さらには佑司の誕生日に毎年バースデーケーキを用意してあげます。それが冒頭のケーキ屋さん。ケーキ屋さんは絶対に約束を守るために約束の日まで経営を続けていたんだろうな。タイミングが良すぎる。そう考えるとケーキ屋さんもいい人!
自分がいなくなることがわかっている、消えていなくなったあとの準備をしていくのってどんな気持ちなんだろう。
純愛映画要素も
この映画は死んだ妻が生き返るという映画という側面以外に巧と澪の馴れ初めが挿入されます。
記憶がない澪(後々に過去から来たという設定であることがわかりましたが)に巧側の視点で澪への思いが語られます。
しかし、最後で澪のダイアリーを読むと澪も巧のことが同じころから気になっていたことがわかります。
ペンのこととかも気持ちがわかるなぁという感じ。
自分の高校の頃のことを少し思い出してしまいますね。
そして、記憶が無くても巧のことを愛してしまう澪。本当に巧が魅力的で、一緒にいると安心できるような相手なのでしょうね。
まさに運命の相手という意味で最後のシーンで「たった一人の相手なのよ」という発言につながっていくのでしょう。
さいごに
今回は『いま、会いに行きます』をおすすめとして紹介させていただきました。
原作の小説もあるので、お時間があれば是非こちらも。
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