今回は祝日の一つ「天皇誕生日」のお話。
現天皇陛下である徳仁天皇の誕生日が1960年2月23日なので現在はこの2月23日が国民の休日になっています。
基本的には天皇の誕生日が祝日になるのですが、実は明治以降で一人だけ誕生日じゃない日が祝日になったお方がいます。そのお方は・・・。
- いつから国民の祝日になったの?
- 誕生日が祝日じゃなかった天皇はだれ?
- なぜ文化の日や昭和の日は祝日のままなのに12月23日は平日に?
という疑問のある方は是非一読してみてください。
天皇誕生日が祝日になったのはいつから?
1948年に制定された「国民の祝日に関する法律」では天皇の誕生日を祝う日が祝日とされています。
1948年までは「天長節」と呼ばれていました。
その天長節の起源は、日本では775年の光仁天皇時代には執り行われていた記録があります。
しかし、それが祝日としてしっかりお休みになるのは明治元年からのようです。(そもそも江戸時代より前だと平日とか休日とかあまり関係なさそうですしね。)
明治元年9月22日に天長節を国家の祝日としてお祝いし、祝賀儀式を行っています。太陽暦が採用された明治6年(1873年)からは11月3日に変更となっています。
○○天皇の時は誕生日から2か月後が祝日に
基本的には天皇の誕生日の日が祝日となっていますが、唯一大正天皇だけが誕生日の8月31日ではなく、2か月後の10月31日に天長節祝日とされました。
何故大正天皇だけが祝日を変更したのか??
それは、8月31日が盛暑期であり、式典を行うのが困難であったためとされています。暑い日に当時はエアコンもなく正装をすれば熱中症になる人も多発したでしょうね・・・。
そのため。大正二年から改正され、天長節祝日として10月31日が祝日とされたようです。ただ、8月31日も行事を催さないけれども休日ではあったよう。つまり年2回休日があったということに!
12月23日は何故平日に戻された?
天皇が後退し元号が変わったとしても、祝日は名前を変えて残ることもあります。
例えば11月3日の明治天皇の誕生日は「文化の日」、4月29日の昭和天皇の誕生日は「みどりの日」(2007年以前)「昭和の日」(2007年以降)として祝日とされています。
では、平成の元号では祝日となっていた12月23日も祝日のまま残ってもよさそうではあります。
しかし、そこにはいろいろな理由が存在します。
その理由としては次のものがあります。
- 二重権威が生じる懸念
- 名称の問題
前天皇の明仁さまは現在上皇という位になっています。
今までは天皇が崩御されたのちに別の名前で祝日とされていますが、明仁さまはまだご存命。上皇の誕生日と天皇の誕生日とどちらも祝日とすれば、天皇と上皇でどちらが上かという問題がでる可能性があります。
この問題の歴史は平安時代後期から鎌倉幕府の時代にかけて「院政」という形で存在をしていました。これは、天皇が皇位を後継に譲った後も政治の実権を握り、天皇よりも上皇の方に権力がある状態となってしまいました。
そうした可能性をなくすためにも、上皇と天皇の誕生日を同時に置くことを避けたということになります。
そして、名称の問題です。
そもそもご存命の天皇は「天皇陛下」と呼ばれ、昭和天皇や明治天皇のように元号で呼ばれることはありません。
これはご逝去されたのちの諡(おくりな)になります。
つまり現上皇の明仁さまのことを「平成天皇」と呼ぶことはまだありません。
とすれば、12月23日を祝日としても「平成の日」とは現状つけることができません。というよりも縁起が悪いということにもなります。
適当な名前を付けることもできるでしょうが、それよりはわかりやすく一旦平日に戻すということになったのだと思います。
さいごに
今回は国民の祝日である「天皇誕生日」について解説してみました。
まさか、誕生日ではない日にも祝われる天皇がいるとは思っていなかったですが、休日が増えるならそれはそれでありと思うのは自分だけではないはず・・・。
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