今回は何とも重たそうなタイトルで記事を書かせていただきます。
実は私は医療従事者であるので度々この問題に直面します。
今回の記事は何も参考にしていない、100%素の意見になるためご批判もあるかもしれませんがよければ最後まで見ていただければと思います。
日本人の平均寿命
2024年7月26日に厚生労働省から発表された2023年分の平均寿命によると、男性は81.09歳、女性は87.14歳とのこと。
これは世界でもトップクラスに高い平均寿命となっています。
また、平均寿命ではなく、75歳まで、90歳まで生きるものの割合はどれくらいかというと、75歳まで生存する者の割合は男性75.3%、女性87.9%、90歳まで生存する者の割合は男性26.0%、女性50.1%となるそうです。
あなたは何歳まで生きたいですか?
さて、これを読んでいるあなたは何歳まで生きたいでしょうか?
人によっては「100歳までいきてやるぜ!」と思う人もいれば、「70歳くらいで元気なうちにぽっくり逝きたい」、「平均くらいでいいや」とそこまで長くを希望しない人もいるでしょう。
ところで、何歳まで生きたいかを考えたときにその数字はどこからでたでしょう?もっと言えば、何のためにその年まで生きたいと思ったのでしょう?
誤解してほしくないのは長生きに対して反対しているわけではありません。
私は85歳くらいまで生きたいと思っています。この数字は、自分に孫ができれば成人するのがそれくらいだろうと思っているのでその数字にしました。子供が早く結婚して孫が早くできて自分が75歳のときに成人していればそれでもかまいません。(もしかしたら曾孫がみたいとか思うかもしれませんが。)
要はだらだらと特に意味もなく「長く生きることが最高」だと勘違いしてほしくないのです。(ギネス世界一位を目指したいなら応援はしますが。)
ヒトって死ぬんですよ
平均寿命の話をしていて何なのですが、ヒトはいつか寿命がきて亡くなります。
永遠に生き続けられる人はいません。
病気や事故がなくても、だんだんと体が弱っていき、食事もとれなくなって最期を迎えます。
いわゆる老衰です。もう細胞や組織の能力が低下し、生命活動を維持できなくなってしまうのです。
延命治療・蘇生治療は本当に必要?
延命治療と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、呼吸状態が厳しくなった時の「人工呼吸器装着」ではないでしょうか。
他に延命治療にあたるものとしては、「人工栄養」「人工透析」があります。
「延命」とあるようにこれをしないと命が尽きてしまうよね、生きている時間を延ばしましょうねというのが延命治療になります。
一方で蘇生治療は心臓が止まった人に行う心臓マッサージや気管挿管、人工呼吸器装着があります。
人工呼吸
脳幹損傷による呼吸中枢の機能不全や、重症な肺の病気に対しての人工呼吸器装着などがあります。
治療に必要なものとして一時的に導入する場合は延命治療というよりは積極的治療の一環となります。
わかりやすい実例をだすとすれば、全身麻酔での呼吸管理としての人工呼吸器装着は延命治療ではなく積極的治療の一環となります。
難しいのが肺炎の場合。重症肺炎で自分の呼吸能力だけではだめになる時には人工呼吸器の出番となり適応となります。しかし、ご高齢で自分の唾液で肺炎を繰り返している人となると話が変わってきます。今回の治療が人工呼吸器を用いてうまくいって、人工呼吸器を外せたとします。しかし、繰り返し誤嚥を繰り返して肺炎になるということは再度人工呼吸器を用いるほどの重症肺炎になる可能性が高いのです。その度に人工呼吸器をつけて、自分で抜かないように手足をしばり、落ち着かせるために眠らせ、動けないから筋肉は急激に衰えていく。治療が終わるころには歩けていた人が歩けない状態となり、リハビリをさせて上向いたときには次の肺炎が起こってを繰り返す。果たして本当に人工呼吸器をつけることが必要でしょうか。「積極的治療」というよりもこれは「延命治療」となるのでは。
では、果たして肺炎を繰り返す人に人工呼吸器装着は必要でしょうか。
人工栄養
食事をとれなくなってしまった状態の人が口からの栄養摂取に変わる他の方法で栄養を摂ることを指します。代表的なものは経鼻胃管や胃瘻・腸瘻、中心静脈カテーテル(CVC)があります。
例えば、喉頭がんや食道癌などで食事が通らない人は口から栄養を摂ろうにも摂ることができません。
その場合は中心静脈カテーテル(CVC)によりカロリーの高い点滴を入れて栄養をとってもらうことをします。
これは次の治療(抗がん剤や放射線治療)にもつながるため延命というよりは積極的治療の一環と言えます。
しかし、病気ではなく高齢になって嚥下機能が廃絶してしまった寝たきりの人に対してはどうでしょうか。今後改善が見込めない人に栄養を摂らせて死なないようにすることは積極的治療ではなく延命と言えるでしょう。
ところで、生物は食べられなければ死を迎えるもの。果たして本当に必要な医療行為でしょうか?
人工透析
腎臓の疾患により尿の生成ができなくなってしまったり、できたとしても電解質のバランスが取れなくなってしまう場合には人工透析の適応となります。
人工透析にも実は積極的治療として一時的に行うだけのものと、永久的に続ける維持透析があります。
積極的なものの例としては、治療の一環で水分過多にした場合に心臓や呼吸の症状がでてしまい除水をする場合、電解質の異常や尿毒症と呼ばれる状態の場合、血管内に侵入した細菌の毒素により全身状態が悪い場合などがあります。
この場合はその時の一次的なもので住むことが多く、治療が終われば透析は不要になります。
そうではなく何らかの病気が原因で腎臓がやられてしまった場合は腎移植をしないかぎり一生涯週3回の透析を必要とします。
若い方であればもちろん透析の価値があるでしょう。透析をすることで週4回働けたり、透析以外では普通の生活を送れるならば。
しかし、90代で動けない人に行う新規の透析導入となった場合本当に必要でしょうか。もちろん行わなければ数日で亡くなってしまうでしょうが、それはもう寿命では?
心臓マッサージ
一度止まった心臓を再度動かすためには外部から刺激を与えなければなりません。
「蘇生」それは生物の死を覆し神に逆らう行為・・・。と大仰にする気はないですが、これも必要性があるかないかが分かれると思います。
例えば交通事故や水難事故など何かしらのアクシデントがあって止まっているのであれば十分行う価値がありますよね。そして、すぐ始めれば助かる可能性が高いです。
一方高齢者の衰弱に対してはどうでしょう。同じ「心臓が止まる」という現象ですが、アクシデントで止まるのとは意味合いが違います。もう心臓を動かす元気がなく「心臓が止まる」のです。医療者からするとこの場合は意味のない心臓マッサージになってしまいます。
受け入れのできない家族
「母は、半年前まで元気で家事をしていたんです、急にそんなことを言われても」
こんなフレーズを医療現場ではよく聞きます。
これが、40代の母親に急に見つかった末期がんでの余命宣告であれば、確かに『急に言われても』という感覚でしょう。
ではこれが、100歳の母親でここ最近心不全で2か月ほど入院して先月退院したばかりの人が再度重症の心不全で運ばれてきたときの万が一の時の心臓マッサージの確認をされている状況と考えるとどうでしょう。
医療従事者からすると「いやいや、100歳で急も何もないでしょう」と思ってしまいます。医療従事者でなければ「ヒトの死」にかかわることがなく考えないかもしれないですが、年が上がれば周りの人はどんどん亡くなる人が増えていくはず。それなのに「急に」と思うのは、「自分の親は死なないと思っている」人なのかなと思ってしまいます。
中には90代後半の親に対して「100歳まで生きてもらいたい」という発言をされる方もいますが、何のために?
80歳を超えたらもう「急」ではない
平均寿命はあくまでも「平均」であり、その前に亡くなる人も多くいます。
自分の親や自分、周りの人が80歳を超えてしまえばいつお迎えがきてもおかしくないと思っていてほしいのです。
事前に身構えていればその時は「急」ではなくなります。
可能であれば有事の際にどこまでの医療を行うのかをぜひ話し合っていただきたいと思います。
事前に話あうことをAPC(アドバンス・ケア・プランニング)といいますが、これは次の記事で説明をしたいと思います。
さいごに
今回は重たい話題をえらばせてもらいました。
医療現場で出くわすことの多い「どこまで問題」。
ぜひ「急」なことにしないために普段から定期的にお互いに意思確認をすることをお勧めします。
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