『世界から猫が消えたなら』のすすめ

本・映画

今回は2016年の邦画の「世界から猫が消えたなら」をご紹介させていただきます。

このタイトルは以前から聞いたことがあったのですが、今回偶々機会があったので見てみることにしました。

現在Amazon videoでも見ることができるのでよかったら見てみてください。

あらすじ

郵便局で勤める主人公はある日の帰り道に倒れてしまいます。病院へ行くと脳腫瘍の末期で手の施しようがないということを言われてしまいます。その日、家に帰った主人公は自分と同じ顔の人物に出くわします。悪魔のような彼からの提案で、世界から何か一つを消すことで寿命を1日伸ばすという取引をします。そして電話が無くなり、映画が無くなり、最後には猫がいなくなる対象として選ばれ・・・。

タイトルの意味

今回のタイトルは契約により電話や映画がなくなっていく世界で、もしも大事な猫がこの世から消えて無くなってしまったらというお話でついています。

初めはよくわからずに消えてしまった「電話」やおしきられるように無くなってしまった「映画」とは異なり「猫」については苦悩をします。

一緒に住んでいる猫のキャベツが消えてしまったら。

猫が単純に消えるわけではなく、猫がいたという事実も消えてしまったら。

作品について

「世界から猫が消えたなら」は映画プロデューサーで小説家の川村元気さんによる小説をもとにした映画です。

原作は2013年に本屋大賞にノミネートをされています。

この作品が生まれたきっかけは携帯電話を無くした体験や、幼い頃に飼っていた猫が突然姿を消してしまった体験から生まれたとのことです。

登場人物の中で主人公や元カノには名前がありません。「ぼく」や「彼女」として個人名をつけられていません。

これは作者の川村さんが、読者の誰もが自分に置き換えて入り込めるようにするためにわざと名前をつけなかったようです。

個人的感想と見どころ

ここからは盛大にネタバレがあるためまだ見てない人は読まないでください。

冒頭の手紙

誰宛とも明かされず冒頭1分ほど手紙を読むような主人公のナレーションが入ります。

誰宛なのか、単なる導入としてのナレーションなのかとおもっていました。

そしてラストシーンで父親への手紙を携えて色々な人のもとをめぐります。

そう、あの冒頭のシーンは父親への手紙の内容だったのです。手紙の出だしが一緒です。

どんな転び方??

脳腫瘍が発覚する直前のシーン。

佐藤健が自転車に乗っていたのに急にバク宙するかの勢いで自転車から後ろに放り出されます。

いやいや、るろ剣じゃないんだからそんなアクション的なの必要ないやん!と思わず突っ込みをいれてしまいました。

しかし、次の瞬間は普通の倒れ方(激しいですが)をしています。あれもまた主人公の妄想??

二人の佐藤健

今回の映画には主人公の「佐藤健」と悪魔でいいやという謎の「佐藤健」が出てきます。

少し地味でさえない主人公の役と自分勝手で話を強引に進めていくもう一人の主人公の役とを演じている佐藤健。

声の抑揚や口調もかえて二つの相反するような役を演じていますが、終盤にその意味が明かされます。

単純に悪魔であれば他の人でもよかったのでしょうが、どちらも主人公であり、自分の中のもう一人の自分、自分の死を受け入れることができない自分でした。

この終わりにするにはやはり同一人物が演じるのが一番いい気がします。それを見事にやり遂げた佐藤さんはすごいなと思いました。

受け入れられないから強がっているのかな。

消えていくもの

一番最初に消えていくのが「電話」、そして次に「映画」、「時計」と続き、最後に選ばれたのは「猫」でした。

何かが消えればその関連したつながりも消えてしまう。

「電話」で失ったのは物質的な電話だけでなく彼女とのつながりが消えてしまいました。

これから先の世界にそれが無くなってしまうのかと思ったら過去に遡って無くなってしまう。

彼女とは間違い電話で知り合ったためそれがなかったことになればもちろん出会うことはなくなってしまいます。同じ大学だとしても接点がなくなってしまうので。

次に無くなった「映画」では友人のたつやとのつながりが無くなってしまいました。

その次の「時計」では映画内で明確には描かれませんでしたが、実家の時計屋の公告がきえていきました。父親とのかかわりがどうなってしまったのか。

そして最後は「猫」が消えるのかと思ったらそこでようやく大切なものに気づき消すのをやめます。

猫が消えていたら母親との思い出もまたかわってしまったのかもしれません。

単純に消えてしまうだけでなく、それに関連した人とのつながりも消えてしまうこの作品。自分に置き換えて考えたり、他のものが消えてしまったらと考えさせられた作品でした。

間違い電話からの!?

設定のために必要だったのかもしれませんが、この時代家電にかける事ってほぼないのでは??まして大学生だし昭和の時代じゃないんだから携帯はもっていたのではないかと思います。というかそのあとのデート後のシーンで携帯でしゃべっているし。

というか間違い電話からの恋愛発展って結構特殊。

正直「ぐいぐいいくなこの人」という印象でした。

ちなみにこれって映画なくすのが先だったら映画無くした時点で元カノとの縁も切れていそうだなと勝手に思いました。

手紙は有効なんだ??

電話が無くなるときに元カノとのデートをしていましたが、そのあとに元カノが主人公に手紙をしたため投函したようにみえました。

しかしそれは主人公の母親から預かっていた手紙を郵送したものでした。

デート中に元カノは確かに言っていました。別れた後も主人公の母親と交流があったと。その時に手紙を受け取ったのでしょう。

ここで疑問なのは、元カノの記憶から主人公の記憶がなくなったのは、「電話」が無くなったため出会うことがなかったからですが、そしたら手紙も受け取れないわけで、元カノの手元から送られることもなかったはず。しかし、そこは消えることなく主人公に届いています。

「電話」が消える前に手紙をだしているのでセーフだったのか??ちょっとした謎です。

夢落ちというか妄想落ちだったから届いたのか・・・。

父親の姿

途中ででてきた思い出の写真は、正直ぶれすぎていて「海で2人でとった写真」というのがわかるくらいで誰の写真かはわからないくらいぶれていました。

しかし、その理由が後半というか終盤にわかってしまいます。

あんな寡黙であった父親が、あんな無粋な感じの父親が、やはり最期の思い出としての写真となるとあんなに泣いてしまうんだなとおもうとなんか心に沁みました。

さらに、あんなに猫に対しては興味なさそうであったのに、妻のためにとまさかのキャベツを連れてきたのが父親でした。

そして、ラストシーンで赤ん坊の時の主人公に対して父親から「生まれてきてくれてありがとう」という言葉がありました。これはそのままの意味としてもあり、その前の主人公の手紙へのアンサーでもあったのかなと思います。

この映画で一番感銘したセリフは・・・

「僕は、自分の寿命を知らされて、それを受け入れて死ねる。これって幸せなことなんじゃないかと思うんです。」

まさにその通りだなと思います。

交通事故や災害で突然訪れる死では家族も受け入れられないでしょう。本人も死ぬまでの数秒・数分で後悔しかないと思います。突然すぎて何も思えないかもしれないですが。

作中にでてきたトムさんの死が描かれたのは対比としてなのでしょう。「死ぬ」ことに対して何も考えておらず、そんな日が来るとも思っていないのに、それは突然やってきてしまった。

それに対して今回の脳腫瘍や他の癌は最期までの時間が残されている場合が多いです。それが1か月なのか、1年なのかはわかりませんが。

勿論、残りの時間が多いと死への恐怖が強いかもしれませんが、それを受け入れられれば、最期に残された時間でやりたいことややらなきゃいけないことをすることができます。

さいごに

今回は「世界から猫が消えたなら」をおすすめさせていただきました。

もし気になった、気に入った方がいればぜひ小説版にもチャレンジしてみてください。

また、少し違うようであり時間があるときに読んでみようと思っています。

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