『すずめの戸締り』のすすめ

本・映画

水曜日は本や映画のおすすめをさせていただきます。

こちらの映画は2022年に公開されたもので、新海誠監督の作品となっています。

金曜ロードショーでやっているのを初めて見てよかったのでご紹介です。

個人的感想ではネタバレを含んでいるのでまだ見ていない方は見ないでください。ぜひネタバレ前に鑑賞を!

ストーリー

17歳の女子高生・岩戸鈴芽(いわとすずめ)がこの物語の主人公となります。

彼女は12年前に母親を失い、叔母と一緒に宮崎県に移り住み日々をすごしていました。

ある日「扉を探している」という不思議な青年・宗像草太(むなかたそうた)と出会います。

彼は「閉じ師」というという稼業のために全国を移動していました。

そんな彼のことが気になり後をおう鈴芽は不思議な扉をみつけ、開けてしまいます。

扉の先には以前見たことがある、違う世界がうつっていますが、決して中に入ることはできませんでした。

不思議な事が起こり怖くなった鈴芽は扉をあけたままその場を去ってしまい事件が起きます。

その後は鈴芽と草太の旅が始まっていきます。

タイトルに込められた意味は?

これはその名の通りの意味以外にも別の意味があるように感じます。

まず、ストーリーの展開としては鈴芽は開いてしまった扉を草太と協力し閉めていくものでした。

つまり扉を閉めるのだから「鈴芽」が「戸締り」をする。そのままですよね。

ただ、そんな単純な意味合いとは別にもう一つ意味があると思われます。ただ、これはネタバレにつながるので最後の「個人的感想」の部分で追記をしたいと思います。

岩戸鈴芽の名前の由来は?

岩戸ってあまりなさそうな苗字ですよね。ということはなにかしら意味がありそうと考えるのは至極当然のこと。

劇場公開時の入場者プレゼントだった小冊子「新海誠本」にて監督のインタビューが掲載されていたようですた。主人公の名前の由来は、アメノウズメノミコトという日本神話に出てくる女神だと明かされていたようです。

アメノウズメノミコトは、天照大神という太陽を象徴とする女神が洞窟に隠れてしまった際に外に出てきてもらうために行った祭りで踊りを披露した女神です。

また、その洞窟の名前が『天岩戸』とされています。

つまり苗字の部分は天岩戸の岩戸から、名前はアメノウズメノミコトのうずめを変化させて鈴芽となったようです。

でも、岩戸からでてきてもらうということはミミズ出しちゃう側っぽいイメージがありますが・・・。だから最初ミミズ出しちゃったのかな??

宗像草太の名前の由来は?

宗像という苗字も珍しいですよね。この苗字の由来は宗像大社に由来しているとされています。

宗像大社は、日本神話に登場する日本最古の神社の一つです。御祭神は、天照大神の三女神で、沖津宮、中津宮、辺津宮にそれぞれ祀られ、この三宮を総称して、宗像大社といいます

ここでも天照大神が関係してきますね。

個人的感想

ここからはネタバレを含みますのでまだ見ていない方は読まないでください。

話は全体を通して少し悲しいお話だと私は思いました。

まず、この物語のキーでもある「みみず」が出現する場所は、かつては栄えていたが今は寂れてしまった場所に出現する『後ろ戸』からですよね。

一つ目は主人公の鈴芽のすむ町の近くにある廃墟とかした施設、そこでダイジンとの出会いもあります。

二つ目は愛媛にある廃校。

三つ目は神戸の山の上にある廃遊園地。

四つ目は皇居近く(江戸城跡地)。

五つ目(0番目)は宮城の被災地。

これらが後ろ戸がでた場所です。

それぞれの場所は過去には栄えていたが、今は用をなさなくなってしまった場所。

もう学生が通うことや、家族連れで遊びに来ることもなく、過去には一日あたり6000名が働いていたとされているが今は跡形もなく消えてしまい、そして3.11で多くの命が失われてしまった場所。

そう考えると物悲しい感じがしませんか?

それに反して(?)鈴芽はどんどんと成長をしていきます。

育ての親から離れ、各地を転々としていく先々で人々との交流を作っていきます。(まぁ17歳をスナックで働かせるのはどうかというところはありますが(笑))

最終的には母親を失った場所へ自分の意志で戻るということをしています。遠く離れた地からあの悲惨な大震災の地に舞い戻ることは大変な覚悟だと思います。

日記が黒く塗りつぶされている描写からも彼女には思い出したくない過去として描かれています。(しかも前日が母親の誕生日だったなんて。)

私は震災を直接には経験はしませんでしたが、当時テレビ中継でヘリからの空撮を見ていたのを覚えています。迫りくる波と逃げるために結果津波の方向にすすんでいく車が隅にうつっていました。その後の結果は想像に難くないでしょう。

幼少期の鈴芽の母親を探す叫び声が、高校生として舞い戻った時の町の状態がかつての日を思い起こさせました。

映画自体は面白く、色々な対比などもありみていて飽きはこないいいものでした。

鈴芽がダイジンにかけた言葉(「うちの子になる?」→「好きじゃない」)が、環さんから鈴芽へ返ってくるシーンは「そういう伏線回収?」と思いました。

一つ疑問だったのは、鈴芽はなぜみみずの上に立てずに一度落っこちたのかというとこでしょうか?

草太を持つと普通に立てるようであったけど、それがなぜなのか。そういうものだととりあえず納得したとして、ただ、要石になる少し前に完全に手を放してましたよね?あれはなんで落ちなかったんだろう。

うーん、一度では理解できないところもあるのでまたもう一回見てみよう。

すずめの戸締りのタイトルについて、単純な意味合いのほかにもあると書かせていただきました。それは、思い出は思い出のままに、過去の自分(=母親の死を引きずっている自分)との決別として、最後の後ろ戸を閉める(戸締りをする)ことが新たな門出となる。家の戸締りをして外に出る事で新しい一日を迎える。そういう意味合いで最後にタイトル回収をしたのかなと思っています。

最後に

ガチな考察とかを期待された方申し訳ありません。

こんな感じでここではしばらくやっていきます。

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